The Holy of Holies

ひたすら自分に優しい日記

伽羅伽羅と~伽羅伽羅と~♪

伽羅ではなく「からからと~♪」か。

この場合、「回る」のほうが妥当なのでしょうけど、時が巡り、人生が巡り、その折々に吹く風が風車をまわしつづけけ、やがて終焉を迎えるとき思い出すのが、子守唄であり、子供の時まわっていた風車だった、こうしてぐるりと一周して、人は旅立って行く、そんなシチュエーションから「廻る」の漢字をチョイス・・・(´;ω;`)

というわけで長い前振りでしたが、ミュージカル刀剣乱舞「三百年(みほとせ)の子守唄」の感想を殴り書きたいと思います。
ネタバレ全開で参りますので、内容を知りたくない方はご注意くださいませ。
また、とうらぶに興味のない方には、この度もまことに申し訳ございませぬ(>ω<、)


まずはストーリーから。

物語は石切丸が今回の任務を思い出し、したためるところからはじまります。
彼の筆で記録される出来事が、彼の語りで物語られていくという展開です。

天文11年(1543年)12月。
遠征の任務でこの時代の三河を訪れていた大倶利伽羅とにっかり青江は、突如現れた時間遡行軍によって岡崎城が攻め落とされる場面に遭遇します。
岡崎城といえば、松平家の居城。
次々と家来たちが討ち死にし、青江と大倶利伽羅が駆けつけたときには城主である松平広忠も深傷を負い、息絶えてしまいます。
広忠は死ぬ間際、生まれたばかりの赤子を青江と大倶利伽羅に託しまた。
この赤子こそ、のちの徳川家康なのでした。

家康といえば、徳川四天王に代表されるように、忠義に厚い家臣たちがいたことで有名です。
ところが時間遡行軍の攻撃により、その家臣たちもみな討ち死にしたことがわかります。
討ち死にした家臣のなかには、

服部保長(半蔵の父)
鳥居忠吉(十六神将・鳥居元忠の父)
本多忠高(四天王・本多忠勝の父)
榊原長政(四天王・榊原康政の父)
酒井小五郎(四天王・酒井忠次本人。ガビョーン)

これらがおり、四天王の3人と鳥居元忠などはこの世に生を受けるか受けないかわからなくなってしまいました。
完全に歴史が修正されてしまったのであります。

そこで主たる審神者は、岡崎に石切丸を隊長とする、物吉貞宗、蜻蛉切、千子村正の4振りを派遣。
青江と大倶利伽羅に合流して、歴史から消されてしまった徳川四天王や他の家臣とになり、家康を育て、その生涯に寄り添い、江戸幕府の誕生に貢献するという、本来の歴史に軌道修正する任務を与えるのでした。

かくして、刀剣男士たちはまだ赤子の家康を慣れない手つきであやし、子守唄を歌い、手習いや剣術を教え、大切に大切に育てていきます。

刀剣男士たちが扮した武将は、
石切丸→服部半蔵(正成)
物吉くん→鳥居元忠
青江→酒井忠次
蜻蛉切→本多忠勝

蜻蛉切は元主に扮したわけですね。
そのことで葛藤がありましたが、まわりの言葉などから迷いを振りきり、元主になりきることができた模様。

伽羅ちゃんは「馴れあうつもりはない」、村正は「徳川家に仇なすといわれる自分は近寄らないほうがいいでショウ」ということで遠くから見まもっていたのですが、家康の純粋さ、まっすぐさ、心根の優しさに触れ、気がつくと、

伽羅ちゃん→榊原康政
村正→井伊直政

として家康に仕えていくのでした。

まぁ石切丸たちが手塩にかけて育てたわけですから、優しくて思いやりのある、とてもいい殿様になるわけです。

時は風車がまわるように過ぎていきます。
刀剣男士たちは陰になり日向になり、愛しい子供である家康を見守っていきます。

石切丸たちが育てた子供はもう1人いました。
家康の長男、信康です。
この子も赤ん坊のころから可愛がって育ててきました。
信康はとても心が優しく、花や植物が大好きな青年となっていました。

さて、時代は戦国ですから家康と徳川軍は桶狭間、姉川など、史実通りに戦を戦っていきます。
男士たちもそれぞれが扮した武将の史実通りの活躍を重ねていきます。
家康の愛刀として、家康を側で見守ってきた物吉が、軍師のような働きをして史実通りの経過と結果を導き続けます。
家康と嫡男・信康は親子の仲も良く、刀剣男士たちも徳川の武将として仕える日々が流れていきます。

そんな日々のなか、ひとつの史実が男士たちに暗い影を投げかけます。
信康が家康から切腹を申しつけられ、亡くなっているという史実です。
こんなにいい青年の信康がなぜ切腹しなければならないのか。
息子を愛している家康がなぜその息子を殺さなければならないのか。
この歴史では、悲劇は避けられるのではないか。
そんな禁忌さえ頭を擡げてきます。
刀剣男士たちはそれぞれ矛盾と葛藤を抱えます。
さらに史実では、信康の介錯を半蔵がするよう家康が命じたとあり、介錯に使われた刀が千子村正だとも言われているのでした。

半蔵は石切丸です。
誰よりも信康を可愛がっていました。

実は信康は武士より、お百姓として土に生きることを選ぼうとしています。

信康には吾兵という家臣がいました。
吾兵はお百姓だったのですが、戦で家族をすべて失い、その戦をなくするために足軽になったのです。
植物が好きな信康が声を掛け、いつしか家族のようにつき合うまでになります。
吾兵の純朴な人柄に、刀剣男士たちも親しみを持ち、とくに大倶利伽羅は剣術の指南をしてやったりしていました。

そんな吾兵が、長篠の戦いで討ち死にするという出来事が起こります。
長篠は織田・徳川連合軍の圧勝のはずなのですが、時間遡行軍の襲撃に遭い、またしても歴史が変えられようとしたのでした。
遡行軍は本陣を襲い、大倶利伽羅の隙を突いて家康を襲います。
吾兵は家康の盾となり、大倶利伽羅と信康、家康の目の前で斬り殺されてしまうのでした。

吾兵の死は誰の胸にも傷を残し、なかでも大倶利伽羅と信康は深く傷つきます。
この吾兵の死がきっかけとなり、信康は武士を捨てる覚悟をします。

信康が家康に自分の覚悟を伝えた日が、歴史上、信康が切腹した日でした。

嫡男が武士を捨てるなど、家康が許すはずがありません。
親子は激しく諍いますが、しかし切腹を申しつけるには及ばなかったのであります。
家康と入れ違いに半蔵である石切丸が信康を訪れます。
歴史通りにことを進める、すなわち信康を斬るためです。
心配そうに陰から見守る5振りの刀剣男士たち。

信康は、家康との経緯を話したのち、石切丸に自分を斬ってくれるよう頼みます。
しかし石切丸は斬ることができません。
そのため歴史のひずみが生じ、そこに検非違使(時代から異物を排除する白血球のような化け物。その時代に存在しないものの気配を察知すると現れる。オニのように強い)が現れます。
さらに遡行軍も現れるというダブルブッキング。

刀剣男士たちは必至に戦いますが、戦況ははなばだヤヴァイ。
問題は検非違使でした。
検非違使にとって男士たちも遡行軍も異物であり、切腹していなければいけないのに生き残っている信康も排除の対象と見極めています。
検非違使はまず異物として遡行軍を始末したあと、信康と男士たちに襲いかかってきました。
しかし検非違使の強さは圧倒的で、さすがの刀剣男士たちも追い詰められていきます。
そしてついに石切丸が斃されそうになったとき、信康が石切丸をかばい、斬られてしまうのでした。
石切丸は慟哭し、ほかの男士たちは総攻撃をしかけます。
石切丸も加わりますが、KBC無双。つえーつえー。
それでも最後の力をふりしぼり、なんとか検非違使を退けます。

歳月は流れ、家康が臨終を迎えようとしている場面に変わります。
ひとり布団に横たわり、苦しそうに呼吸する家康。
そこへ、物吉が現れます。
家康が気配に気づき、物吉の姿に気がつくと、嬉しそうに声をかけます。
次に青江が現れ、石切丸、蜻蛉切、村正、さらに大倶利伽羅も現れます。
皆、徳川家の家臣の姿で現れています。
この時代にはもう6人とも人生を終えています。
家臣としての役目を終えたあとも、6振りは家康を見守っていたのでしょう。
赤子のときから愛情と慈しみの限りをこめて育て上げ、見守ってきた、いわば6振りの子供を、彼らは看取りに来たのでした。

家康は自分を育ててくれた刀剣たちを、誰より親しんだ家臣の名で呼び、再会を喜び、自分だけ長生きしたことを詫び、迎えに来てくれたのかと礼を言います。

刀剣たちはここに1人のお百姓を招き入れます。
信康でした。信康は生きていたのです。
おそらく石切丸たちが亡くなったことにして逃したのでしょう。
今は掛川のお百姓、吾兵として生きていると家康に伝え、親子は長い歳月の果てに涙ながらの再会を果たすのでした。

戦が大嫌いだった家康。
武器として戦が活躍の場だった刀剣たちが育て上げた人間は、終生、戦いを憎む人生を送ってきました。
そして世の太平のために人生のすべてを費やしました。
家康は今際の際にこう言います。
子供にとって1番の幸せは、親の腕の中で子守唄を聴くことだと。
自分にはそのささやかな幸せすら奪われてしまったと。
戦さえなければと、平和な世の中を作ろうと努めてきたが、はたしてこれでよかったのだろうか。
息子さえも犠牲にして、血も多く流した。
これでよかったのか。

父上、と信康が話しかけます。
あなたの築いたげた太平の世は、そこかしこから子守唄が聞こえてくる、すばらしい世ですよ。

そうか・・・そうか・・・と頷いたあと、家康は物吉に支えられながら子守唄を歌いはじめます。
それは刀剣男士たちが赤子のときから歌ってきかせた子守唄。
物吉も家康に合わせて歌います。
やがて声は小さくなって、物吉ひとりだけの声となり、家康は物吉の子守唄を聴きながら息を引き取ります。
物吉は家康を抱きしめ、
「よく、生きられましたね。おやすみなさい」
子供に話しかけるように言うのでありました。

無事、任務を果たした刀剣男士たちは本丸へと帰城します。
80年あまりの歳月も、時代を超えることのできる刀剣たちにとっては、数週間くらいの出来事だったようです。

こうして石切丸の書き付けは終わり、新たな生活が始まるのでした。
今までと変わりない日常ですが、6振りの刀剣たちの胸には、あのとき歌った子守唄と、慈しんで育てた子供の姿がある。
彼らはそっと子守唄を口ずさむ。子供に聴かせるように。

というところで、完!!


なんだかまた調子に乗って長々書いてしまいました・・・
いつものことか・・・
これは見終わったあと、じわじわくる舞台です。
感想を書くはずが、あらすじだけで力尽きましたので、感想はまた改めて!
いや、このあらすじ書いている間中ディレイ配信流していたのですが、涙で画面が見えない。
まじだ。


以下、6振りが扮した武将たちについてざっと補足しますね。
異様に長くなるので畳みます。
補足といっても常識的なことばかりなので、恥ずかしい限りです。
よろしければどうぞ(´;ω;`)







というわけで、家臣たちについてです。
ほとんどご存じのことばかりだと思われますが、自分のためのメモとして・・・。
お時間があるときにご覧いただければ幸いであります(>ω<、)



・鳥居元忠
ものよっしーが扮する。
徳川十六神将の1人。
家康が竹千代と呼ばれ、今川の人質となっていたときから仕えていた側近です。
鳥居元忠といえば、まず血天井が思い出されます。
元忠は人一倍、忠義にあふれた家臣でした。
三成が家康に挙兵したとき、手薄だった伏見城に立てこもり、三成軍相手に善戦。
なぜ手薄だったかというと、会津攻めをする家康に、兵の多くを預けたから。
つまりはじめから城を枕に討ち死にする覚悟だったのですね。
元忠は獅子奮迅の戦いを見せ、結果、関ヶ原へと続く西軍の作戦に大きな狂いを生じさせたと言われています。
数少ない兵で敵の猛攻に13日間耐え、最期は鈴木重朝に首を討ち取られました。
元忠は「三河武士の鏡」として賞賛されます。
伏見城に立てこもった兵たちの戦いは凄まじく、みな自刃して果てた城内の床板を供養のため天井に貼ったと言われています。
この血天井は現在、今日との養源院、宝泉院などに伝えられています。
元忠を討ち取った鈴木重朝とは、またの名を鈴木孫一、つまり雑賀孫一です。
孫一の刀は八丁念仏団子刺しが有名なので、このときの佩刀も八丁念仏だったのかもしれません。

たぶん1番忠節に厚い元忠を、家康の愛刀である物吉が扮したところに涙が出ます(´;ω;`)
物吉くんは愛刀時代と同じく、ずっと家康の側に仕え、励まし続けました。泣けるわー。


・酒井忠次(1527年~1596年)
にっかり青江が扮する。
四天王の1人で筆頭。
家康より15歳年上。家康の義理の叔父のあたる。
家康が今川の人質になったときも付き従い、年長者である忠次はそれこそあらゆる盾になって支えてきたと思われる。
これだけで泣ける。
忠次は家康の父にも仕えていたので、親子二代にわたって仕えました。
どちらかというと、歴史ではこの人が軍師。
伊賀越えにも同行。
とってもエライのに気さくなお人柄だったらしく、「海老すくい」という踊りが得意だったそうな。軍議などの席でも披露していたらしい。
青江も踊ったのだろうか。そして「笑いなよ、にっかりと」と笑いを強請したのだろうか。
主立った戦にほぼ出陣。外交も担当。
たぶんこの人がいちばん家康を支えてきたと思われます。
泣けるわー。

舞台では青江と伽羅ちゃんが家康を救うところから始まるのですが、演じる役者さんでも1番年長の荒木さんが青江を演じており、その青江が四天王で1番年長の忠次に扮するところがナイス演出。
舞台は物吉が軍師の役割とはいえ、青江も物吉とともに常に家康の側に控えている演出でした。
ここもよかった。
泣けるわー。

酒井家はのちに庄内藩を治めるのですが、転封が1度もなかった珍しい藩。
譜代屈指の藩であるため家老なんぞを出したばかりに出費がかさみ、大変なことになったりしたが、藩主、家臣、領民ががっちりむすびついたすごい藩だった。
庄内藩は藤沢周平の小説に出てくる海坂藩のモデルで、この海坂藩は悪い家老に悪い剣豪、使えない官職がたくさんいて、そいつらが悪いことばかりしており、さらにやたらものすごい剣豪がたくさんいるという、どう考えても即刻お取りつぶしになるような藩となっている。
どうでもいいわー。

・本多忠勝(1548年~1610年)
蜻蛉切が扮する。
今さら説明は不要ですネ。
四天王の1人で、幼いころより家康に仕えていました。
同い年の榊原康政とはライバルであり、親友。
真田丸で隊長が演じていましたね。
家康が関東に移ったとき、忠勝は上総国に10万石が与えられます。
もっと石高を増やそうかと言われましたが固辞したとも。
家康は、譜代の家臣はいざというときの備えとして国境の護りとするという考えで、忠勝は里見、北条系を封じるため上総が与えられた。
関ヶ原以降は伊勢・桑名藩へ封じられ、東海道あたりをがっちり整備した模様。
関ヶ原以降、文人の家臣が台頭してくると、若手に任せて幕府の中枢から遠ざかる身の引き方も見事。
愛馬は三国黒。ゲームでは蜻蛉切をぜひ騎乗させてほしい。
この馬は関ヶ原で島津の鉄砲隊に撃たれて昇天してしまうので、私は関ヶ原に出陣させていません。どうでもいい話でした。


・榊原康政(1548年~1606年)
大倶利伽羅が扮する。
四天王の1人。
伊賀越えにも参加している。
もともと榊原家は譜代ではなく陪臣だったが、家康が康政を見いだし取り立てる。あとは出世街道まっしぐら。
忠勝とはよきライバルで親友。いつも手柄を競っていた。
井伊直政とも親友。
忠勝と同じく戦で武功を立てまくるが、どちらかというと指揮官として優れていた。
忠勝が上総に封じられたのに対し、康政は館林に1同じく0万石で封じられた。
康政の場合は真田や上杉に備えるためである。
のちに水戸へ移る? と家康から打診された際も、館林のほうが江戸に近いからという理由で断っている。
なんという忠義・・・また泣ける。
とても字が上手だったというから、伽羅ちゃんも字が上手いのかなと妄想しています。

隊旗は「無」だっそうで、理由は謎。
これは「慣れあうつもりは無い」との「無」と通ずるところがあるのでは、伽羅ちゃんが康政役なのってこの「無」も理由のひとつじゃ!!!と勝手に妄想していますよ。(本当は「常に無名の一将でありたい」云々という理由からではといわれている)


・井伊直政(1561年~1602年)
千子村正が扮する。
四天王の1人。
伊賀越えも同行。
榊原直政の親友。
今、大河でやっているので詳しくはそちらを。
赤備えが有名ですが、これは武田の旧臣たちが配属され、飯富と山県昌景の意志を継いだもの。
無口。冷静沈着。
すごい美形だった。
江戸幕府を開くに当たって1番の功労者だったといわれ、現在もバンザイされている。
自分にも他人にも厳しかったが、領民には絶大な人気があった。
偉くなっても戦場で先頭を切って突撃していたため、指揮は家老が執っていた。
忠勝は軽装で突っこみ無傷だったのに対し、直政は重装備で傷だらけ。2人はよく比べられたので、忠勝とはあまり仲がよろしくなかったらしい。でも酒は酌み交わしていた模様。
ちなみに忠勝に扮した蜻蛉切も村正も、同じ刀派の村正派で、蜻蛉切はいつも村正を心配していたり、村正派そんな蜻蛉切を振りまわしたりと、忠勝・直政と通ずるところがあるのが楽しかったです。
仲がいいのか悪いのか微妙なのですが、家臣を演じていたときも、刀剣男士としても、ちゃんと内心ではお互い理解しあっているところがよかったな。
無口な直政を、無駄口ばかり叩く村正が扮したところが面白かったし、村正も直政も実はバーサーカーという共通点も面白かったです。
村正は本当は家康の面倒を見たかったのに、妖刀伝説なるものがあるので、徳川家の迷惑にならないよう控えていたのに、我慢できずに家臣になっちゃう。
すると1番の功労者、直政としてガンガン役に立つというところがたまらなかったデス。


服部半蔵(正成・1542年~1596年)
石切丸が扮する。
十六神将の1人。鬼半蔵の異名をとる。
真田丸の「推し通りまする!」で有名になってしまった。
この舞台では、信康との一件のためのキャスティングだと思われる。
とはいえ譜代。服部家は家康の祖父の代から松平家に仕えていた。
忍者というより武将として伊賀甲賀衆を配下に持ち、指揮したいた。
ただ父親が伊賀の忍びだったらしい。その縁で伊賀、甲賀を配下に与えられた。
史実でも、実は正成は信康を介錯することができませんでした。
「三代相恩の主に刃は向けられない」と言って涙し、同行していた天方通綱(あまがたみちつな)が代わりに介錯したといわれます。
のちにこのことを知った家康は「さすがの鬼も主君の子は斬れぬか」と言ったとか。
鬼の目にも涙ですね(´;ω;`)
家康は終生、信康を惜しみ続け、正成の代わりに介錯した通綱はたまらず高野山へ。
また正成も、家康に従って江戸入りしたあと、出家しました。
家康より徳川家のために命を落とした者、また信康の菩提を弔う寺院を建立するよう命を受けるも、完成を見ずに他界。
なんとなく石切丸と通ずるところがあって、また泣けます。
いやいや・・・信康を切れないところなど、舞台と史実が交差して、感動でした。


ところで信康。松平信康ですが、生存説がありますよね。
この生存説というのが、西国大名に仕える飛脚だかが、掛川を通りかかったとき、信康らしい人物と会ったというものです。
舞台では掛川でお百姓をしている設定でしたが、恐らくこの掛川での一件からとったものでしょう。
飛脚が会った人物がはたして信康だったのか証明はされていませんが、ありえない話ではないなぁと思います。
信康がなぜ自刃しなければならなかったのかは今もよくわかっていないらしいです。
これも舞台で「よくわかっていない」と説明されていて、単純に有名な説を採っていなかったのがとてもよかった。



だいたいこんなところを頭に入れて「みほとせ」を見ると、感動が三割り増しになります。
舞台はこれら史実が出てくるわけではないのですが、背景としてガンガン伝わってくるのですね。
舞台上で見えない歴史のあんなことやこんなことが、きちんと想像できる脚本と演出、また役者さんたちの演技にブラボー。
いや、しつこいけどいい舞台でした。

というわけで、異常に長すぎる説明でした。
次は感想・・・
書くよ・・・

ではまた!

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