The Holy of Holies

ひたすら自分に優しい日記

慶長20年5月7日、真田信繁が大阪夏の陣にて突撃戦を開始、勇猛果敢に戦い一次は徳川軍を追い詰めるも多勢に無勢、天王寺近くの安居神社で討ち死にしたとされます。
日付は旧暦で、現在だと6月3日となりますが、一般的には今日が命日ということで通っている模様。
この時代の武器は槍でして(戦場においての武器は弓、そして槍。武将はとにかく槍でした。足軽雑兵の場合だと、刺すのでなく叩きつけて戦ったそうです。刀は戦うというより護身のためのものなので、戦国時代はあまり活躍しなかった。よって後世まで残る。槍は消耗品だったのであまり残っていない。残念)信繁の槍は十文字槍だったそうです。
この槍を手に、突撃していったのでしょうな・・・。
真田軍の突撃は凄まじいものだったとか。
毎回、真田丸のOPを見ては圧倒され、次になんともやるせない気持ちになっています。
どんなラストになるのでしょうか。
命日に先立ち、今年も安居神社では慰霊祭「幸村祭」が盛大に執り行われたそうです。
なにはともあれ合掌。

しかし真田丸を見ていると、この青年が、のちにあの壮絶な死を迎えるのかと思うと、運命の凄惨さというか不可思議な力というものを感じてしまいます。
なんとかならなかったものなのか・・・


さて、今回は青春ドラマのようでした。
清正、正則、三成、吉継による青春ドラマ。
「おめえはここが(胸トントン)ねぇんだよ! 冷てぇんだよ!」
「こっち見ろよ!」
「――泣いてるのか」
みたいなセリフの応酬に、4人+信繁がいる部屋が部室か体育館か体育館裏に見えました。

ドラマの演出が、それぞれの心情と4人の立場、お互い理解し合っているし、口で言うほど嫌っていないのに、目先の感情に囚われて、本当の気持ちではないのに、相手に大して辛辣な言動しか取れないもどかしさと怒り、哀しみが伝わってくる、青臭ささがたまらなくいいシーンでした。
清正は真実を語ってくれない三成に怒り、自分に対しての情けなさも怒りになって爆発していたように感じます。
三成も、幼なじみからストレートに非難され、ショックを受けていましたよね。
ただ三成は、いつものことだ程度にしか考えていなかったのでしょうな。
このとき、もっと相手の立場に立って踏み込んで話し合っていれば、豊臣家は分裂せず、生き残っていけたのかもしれないと思うと、三成の人望のなさにつくづく涙が出ます(´;ω;`)
とはいえ、三成は地元では大人気のいい殿様だったんですよね。
大阪城では利に走りすぎたというか、頭良すぎて、(バカな)人の気持ちを慮ることができなかったのでありましょう。
ああ切ない。

ところで信之おっと今は信幸か、兄上と三成は文通をしているのですが、今回の三成が真田兄弟の手紙をことごとく奪っていたというシーンが、文通のきっかけになるという演出なのではないかと話題になっていました。
なるほど、そうかもしれません。
真田家はずっと三成の手紙を保管していたんですよね。(確か)
敵味方となる2人ですが、理解し合えていたことを考えると、なぜ清正たちとはああなった。
どうしてもここに考えが及んでしまいます。

豊臣のいちばんの問題は、徳川のような譜代の家臣がいなかった、これに尽きると思います。
成り上がりはつらいよってやつです。
あと秀頼さえうまれなければなぁ。
生まれなければどうなっていましたかね。
徳川と伊達で戦争したかな。
どのみち徳川の天下になるような気がしてきました・・・

清水ミチコがよかったです。楽しそうでしたよね。

徳川の真田攻めをかわす作戦はたぶん三成の進言なのではあるまいか。
そしてラスト付近で三成が信繁に言ったセリフ、「お前は誰にでも好かれるんだな」という意味のセリフは、こういうドラマの主人公全般への皮肉にも聞こえて面白かったです。

ほかにもいろいろ書きたいことがあったのですが、忘れてしまいました・・・
また明日にでも思い出したらつけ足そうと思います。

今回も楽しませていただきました。
ありがとうありがとうありがとうNHK!!!!


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