The Holy of Holies

ひたすら自分に優しい日記

すでにご存じの方が多いと思うのですが、とても感動したのでご紹介。
国士舘大の入試で、ジョジョが取り上げられたそうなんだURYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!

こちら

素晴らしい。
国士舘を受験したくなってきました。


さて、しつこく真田丸。
先日の本能寺の変について。

光秀役の岩下氏(ハコちゃん)のインタビューを読んだら、信長から打擲を受けたときの表情について答えておられて、あれは酷い仕打ちを受けながらなお信長に陶酔している表現なのだそうですね。
演出がそういう意図だったらしい。
また今回の光秀と信長は、お互いわかりすぎるほどわかりすぎていて、こじらせているという関係ということです。
とすれば、光秀の謀反はなんとも複雑な心情と覚悟と後悔が想像できますねぇ。
好きで好きでたまらない(公式設定。まじだ)信長を殺す光秀。
きっと殺すしか選択肢がなかったんだろうなぁ。
そして信長も、光秀がなぜ謀反したか、即座に理解したんだろうなぁ。
憎み合いながらも、底にあるのはお互いへの絶対的な理解が残るという、なんとも切ない多重構造に感じました。

真田丸の本能寺の変は、敦盛もなければ討ち入りシーンも「是非に及ばず」もない本能寺でしたが、あの光秀のたったひとつの表情から実に複雑で深い人間関係と、なぜ光秀が謀反に及んだかということにさまざまな示唆を与える、じわじわと考えさせてしまう本能寺の変だったように思いました。

お互いのことがわかりすぎていて、面倒くさい関係(三谷幸喜がこう語っていたらしい)って、なんだかもう・・・たまらないですな。
それで、信長が光秀の表情を見て、打擲する手を止めた意味がなんとなく想像できました。
あれは、自分のことをすべて理解されてしまっているということへの嫌悪感と降参みたいなものだったのでしょうか。

光秀は、信長を殺したことに必然を感じながら、後悔と幸福感も感じたように思う。

真田丸・・・こういう妄想もできるなんて、すてきすぎる・・・
ビバ!

そんなわけで、これからとことん深読みしていこうと思います。
その前に日本史を勉強しなくてはですな。


以下は拍手御礼です。
ありがとうございます(*´ω`*)

 
 
 
 
 
 
 
1月31日
「真田丸 第4回」に1拍手

2月2日
「結局あのモツ鍋は云々」に1拍手

以上、2拍手を頂戴いたしました。

真田丸がなかなか奥が深すぎて、ずぶずぶとはまりまくっております・・・
人に会えば真田丸の話しかできなくなりつつあります・・・
刀剣乱舞といい、今年はどうやら日本史と仲良くなる1年となりそうです(´;ω;`)

「うなぎ鬼」への記事に拍手をありがとうございました。
かなり昔の記事に目を通してくださったばかりか、拍手をくださいまして、とても嬉しかったです。
うなぎ鬼はなんとも読後感がよくない小説だったことを覚えています。
主人公のその後の人生について考えたくないといいましょうか。
主人公も会われですが、その嫁と子供が可哀相ですよね・・・
こういう実に嫌な作品を生み出すことができるのですから、作家は本当にすごいとため息が出ます。


拍手、大感謝大感激でございました(´ノω;`)
心より御礼申し上げます。

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